ラクエラ村の熱いセネター

西 真如

セネター

 昔、アジスアベバのバーで瓶ビールを注文すると、店員は必ず「カズカザ ノウ?」(冷たいのにしますか)と尋ね返してきた。標高が2,000mを超える冷涼なエチオピア高原では、冷蔵庫から取り出したビールよりも常温のビールを好む客が少なくなかったのである。「常温」とはいうものの、アジスアベバの朝方の冷え込みにさらされた瓶は、いつでも手頃にひんやりとしている。その状態のビールが欲しければ、「カウッチ」つまり(冷蔵庫の)「外から」と注文するのが決まりだ。だがいちどだけ、客が「モック ビラ!」(熱いビール)と注文するのを聞いたことがある(1)。彼はスーダン国境に近い低地のガンベラ州で稲作を指導する青年海外協力隊員であったと記憶している。店員は苦笑して「熱いビールなんかないよ」と応じた。この日本人、アムハラ語がわかってないなという態度を隠そうとしなかった――ただそれだけのことだが、ウガンダ北部のラクエラ村で調査をするようになって、いつもそのことを思い出す。ナイル支流のアチワ川沿いにあるラクエラ村は、標高が1,000mほどである。一日の仕事を終えて日が傾いた頃、トタン屋根のキオスクで買うビールの瓶は「ぬるい」などというものではなく、「熱い」の一歩手前くらいに感じる。あのときの彼のアムハラ語は、アジスアベバでは確かに見当違いに聞こえたけれど、彼が任地でいつも飲んでいたのはこれだったのだなと思う。

 その熱いビールを、太田さんと一緒に飲む機会が一度だけあった。ラクエラ村で売られるのは「セネター」という銘柄だが、その名とは裏腹にキャッサバやソルガムを主原料に醸造された「村人たちの」ビールで、一瓶の値段は60円ほどだ。その日、私は若い調査助手のオモニさん、オジョックさんと一緒に、村でてんかん患者を抱えた世帯の畑をいくつかまわって帰ってきた。少し体調を崩して小屋で休んでいた太田さんはそれを待ち構えていて、オモニさんから村の土地利用について聞き取りをおこなった。それも一段落して、オジョックさんが「今日はたくさん働いて喉が渇いたなあ…」とつぶやいたのをきっかけに、朝からの日射しでよく温まったセネターで乾杯することになった。

ラクエラ村

 ラクエラ村は、以前から坂井紀公子さん(金沢星稜大学)や鈴木翔子さん(2017年度までASAFAS院生)といった人たちが、うなづき症候群の患者とその家族について現地調査をおこなってきた場所である。私も2016年からその調査に加わった。うなづき症候群は、主に5–15歳の子どもが発症し、てんかん発作や発達遅滞を含む症状を呈する疾患である。症例がアチワ川の流域に集中していることもあり、河川で繁殖するブヨが媒介する寄生虫の一種(Onchocerca volvulus)が発症に関与している可能性が高いとされる。ただ、寄生虫の関与だけでは説明できない問題もあり、実際には複数の環境要因が関係しているらしい。うなづき症候群の治療には抗てんかん薬が用いられるが、その効果は限定的であり、患者の多くは日常的に発作を経験している。また心身の発達遅滞のために、生業活動や就学に制約がある患者も多い。うなづき症候群が患者の人生や家族の生活に与える影響について知るための調査をラクエラ村で立ち上げることができたのは、佐藤靖明さん(大阪産業大学)やカト・ストーンウォールさん(グル大学)の尽力によるところが大きいが、それと同時に、この研究に早くから関心を寄せて下さった太田さんや門司和彦さん(長崎大学)の助言、助力によって持続的な調査体制が築かれてきた。

土地問題

 太田さんとラクエラ村に滞在したのは、2018年8月のことである。太田さんは指導する学生のフィールドを尋ねてまわる旅の途中であったから、この村には4泊ほどの短い滞在であった。その滞在で、太田さんが土地利用の問題にこだわったのには理由がある。うなづき症候群の患者の多くは、発症から数年を経過して青年期を迎えている。彼らの中には、心身の発達遅滞を抱えつつ家族や周囲の村人とともに生計労働に参加しようとする者も多い。また女性患者の中には、結婚や出産を経験する者もいる。患者とその子どもたちの生計を将来にわたって支えていくためには、土地へのアクセスは重要な問題である。村の土地は慣習法に従って配分されることになっているが、ウガンダ北部では近年、不透明な土地売買の噂が絶えず、またその結果、立場の弱い者が土地へのアクセスから排除される傾向が生まれているという見方をする人もいる。ラクエラ村の周囲にはブッシュが広がり、一見すると土地へのアクセスは容易に見えるが、患者やその子どもたちが将来にわたって必要なだけの土地を保障されるかどうかは、また別の問題なのかも知れない。

 うなづき症候群をひきおこす環境要因の解明が進めば、新たな患者の発生を予防する取り組みが始まるかも知れない。だが既にこの病気を長く患っている患者の多くは、おそらくこの先も、てんかん発作や発達遅滞を抱えて生きてゆくことになるだろう。その意味では、患者やその周囲の人々と、うなづき症候群との付き合いは始まったばかりなのである。私たちはまだ、この病気が患者やその周囲の人々の人生に与える影響について、ほんの少ししか知らない。私たちの調査も始まったばかりなのである――ということはこの先また、太田さんとラクエラ村を訪れ、熱いビールを飲みながら、病気や、土地や、その他のことについて語り合える日があるということなのだ。


(1) モック(moq)は、日本語の「熱い」あるいは「温かい」に相当するアムハラ語の語彙。ここでは「温かいビール」くらいに訳するほうが穏当といえば穏当なのだが、しかしアジスアベバのバーで「モック ビラ」と発話することの意外性の度合いは、「熱いビール」くらいに訳したほうが良く伝わるように思われる。