トオルくんは学校に戻った(3)

2001年11月、一年ぶりに4度目のレンディーレ調査。トオルくんはさらに背が伸び、ラクダキャンプの牧童のリーダー格になっていた。握手すると、少年の手と思えないほど力強かった。しかし、前回来たときに気になっていた耳たぶにあけた穴はやめたようだ。理由を聞くと、「僕は学校に戻るんだ」と彼がいう。もう学校のことを忘れたと私は勝手に思っていたが、彼にはまだ学校に対する未練があるようだ。そして、それに近づくきっかけを与えたのは、その年に来たフランスの撮影隊だった。

トオルくん(右)、ラクダキャンプにて

トオルくん(右)、ラクダキャンプにて

ラクダを連れて旅するトオルくん

ラクダを連れて旅するトオルくん

トオルくんによると、その年の小乾季終わり頃に6台のランドローバ(イギリス産大型四駆車)で総勢30人からなるフランス人のテレビ撮影隊が集落にやってきた。集落の人びとを集めてダンスをさせるなどして、いろいろを撮影した。たまたま集落にいたトオルくんは語学力が買われて、通訳兼主演をつとめた。どんな番組だったのか誰も見たことはないが、とにかく約一ヵ月間の撮影で、トオルくんにとって大金を手に入った。2年間約束していたラクダの放牧もそろそろ済み、報酬の若メスラクダはすでにもらっている。彼は再び学校へ行く決意をした。

2002年12月、5回目のレンディーレ調査。遊牧と自然資源の利用の調査を終えた私は、集落と町を重点にレンディーレの社会変容の調査を始めた。しかし、一年前に「学校に戻る」とうれしそうに私に話したトオルくんはまだラクダキャンプにいた。「学校へ行くんじゃなかったのか」と聞くと、彼は、約束した2年の放牧は終わったが代わりの牧童が見つからなかったから、もうしばらくやることになったと言った。レンディーレ社会では政治的・儀礼的な活動をはじめとして、家畜のやり取りや牧童の調達など、すべて既婚男性が決定権をもっている。トオルくんの場合は亡き父の兄弟が家長代わりをしているため、彼が学校へ行きたくても簡単には行けない。このときのトオルくんは、すでに青年戦士と変わらない体つきに成長し、槍、ナイフ、棍棒といった青年戦士の武器ももっていて、立派な牧人になっている。青年がときおり主催する踊り大会にも参加し、歌も高飛びのダンスもうまかった。

高飛びダンスを披露する青年戦士

高飛びダンスを披露する青年戦士

大きな耳飾りをつけたレンディーレの青年戦士

大きな耳飾りをつけた青年戦士

 

今回(2003年9月)、14年に一回おこなわれる青年の「結婚開始儀礼」に参加するために、私はまたレンディーレ・ランドにやってきた。そして学校の制服姿のトオルくんに会うことができた。彼は小学校の6年生になったが、かつての同級生で学校をやめなかった生徒はすでに高校に進学した(ケニアはイギリスの教育制度をとりいれており、小中一貫の8年制)。同学年のなかで体も年齢も一番大きいが、彼はそのことを気にしていない。むしろラクダキャンプでの経験は、彼に誇りと自信を持たせたようだ。5年前のような町人ぶりと違って、いまの彼は一人で原野のなかで堂々と駆け回る青年だ。できるだけレンディーレ語を使いたい私に、彼はレンディーレ語で儀礼の日程などをいろいろと説明してくれた。また、集落の人びとによる耐え切れないねだりに対して、彼は私にこう言った。

「僕はあなたにねだりをしない。あなたも学生でお金がないことを僕は知っている。将来あなたはいい仕事をし、僕が高校へ行けたら、そのときに助けてくれればいい・・・」。

レンディーレの人びとと付き合いをはじめて5年になった。たくましく成長したトオルくんをみていると、まるで自分の兄弟の成長をみているような気がする。今のケニアの経済状況では、トオルくんが学校を卒業しても新たな人生の道が保障できないだろうとときどき考えるが、彼なら大丈夫だろう。町の青年たちのようにあの遠く汚く人や車で混みあうナイロビに職を求めに行かなくても、原野に生きていけるんだ。それより、今からナイロビへ帰ろうとしている自分を心配したほうが現実的だ!

雲ひとつない青空の下で、地平線まで延びるただ一本の道にたどって、私は車を走らせた。来年も会いにこれるかなぁ・・・・・・

(孫 暁剛)

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